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日本のアルミニウム圧延の歴史

Story 02

1945 年 〜 1972

戦後復興と、
高度経済成長の
波に乗る

缶切りよさようなら

1965年、インパクトのあるコピーで一世を風靡した、プルトップ缶ビールの広告

戦後の新たなスタート、新会社が相次いで誕生

アルミニウムメーカー各社は、高度経済成長による市場の急激な拡大に対応すべく、技術力の向上や生産体制の強化を目指しました。1959年には古河電気工業(株)が、優れた技術の導入を目的に米アルコア社と資本提携し、古河アルミニウム工業(株)が発足。また、同年には住友金属工業(株)からアルミ事業が分離独立し、住友軽金属工業(株)が発足しています。同社は1966年に国内最大級の新熱間圧延設備などを導入し、設備の強化に励みました。さらに、新たな圧延メーカーとしてスカイアルミニウム(株)が1964年に誕生しました。1967年から操業を開始した深谷工場(現 深谷製造所)は、当時の国内で最大規模のロール幅となる熱間圧延機を導入し、後発メーカーながら、業界において大きな存在感を放っていました。

住友軽金属工業(株)の設立記念パーティの様子

高度経済成長と共に(家電製品・建材など需要増)

アルミ産業は、戦後すぐの深刻な物資不足の中で、飛行機などのアルミニウムを再利用し、生活に密着した鍋・釜・弁当箱などに使用される板・押出材の生産から活動を開始しました。1950年ごろには輸送機器へ採用されるなど、明るい兆しが感じられるようになってきました。
さらに、1955年から始まった高度経済成長とともに、アルミ産業は急速な拡大を遂げていきます。軽量で錆びにくいアルミニウムの特長が評価され、家電メーカーから電気洗濯機の内槽が大量に発注されたのです。たらいと洗濯板での洗濯風景は一変し、およそ10年でほぼ全ての家庭に洗濯機が普及しました。続いて電気冷蔵庫も一般家庭に普及し始め、冷却に不可欠な蒸発器の部品が、相次いで発注されました。

1960年代に入ると、アルミサッシの需要が急増し、各社は新工場を建設してこれに対応。アルミサッシの普及は、建材としてのアルミニウムの存在を強く印象付けました。1968年には、高層ビルの外装にも使用され、大きな注目を集めました。1972年には、アルミニウムに表面塗装を施すカラーアルミ専門の古河カラーアルミ(株)(現UACJアルミセンター 宇都宮カラーアルミ工場)が設立されています。

アルミニウム製の洗濯槽

ビール、清涼飲料のアルミニウム缶化が進展

1960年代にはもうひとつ、大きなムーブメントが起こりました。アルミ缶の登場です。当時、食品の缶詰めとして利用が始まっていたアルミ缶が、1959年にアメリカでビール缶に採用されました。国内では、まず住友軽金属工業が1964年に缶蓋用の板材を開発し、製缶メーカーへ納入しました。続いてスカイアルミニウムが缶胴用の材料を製造し、1971年にこれを採用したオールアルミ缶のビールが発売されました。軽さはもちろん、風味の保持や印刷の鮮明さなどが評価され、以後は清涼飲料においてもアルミ缶化が進んでいきました。ここから進化したのが、引き金を手で引っ張れば開く「プルトップ缶」です。「缶切りよ さようなら」の広告コピーも話題となり、一大ブームを巻き起こしました。今に続く、アルミ缶の時代の幕開けでした。缶材の需要拡大が、前述の各社の設備増強につながりました。

初めて上蓋にアルミニウムが採用された缶ビール

鉄道やエネルギー分野でも活用が広がる

高度経済成長期は、鉄道網が急速に拡充された時代でもありました。鉄道車両には、軽さと強度を併せ持つアルミニウムが次々と採用されました。例えば1962年にデビューした山陽電気鉄道2000系は、鋼が主体だった車体をアルミニウムに置き換えました。これによって、車体は約15%の軽量化に成功。消費電力は8%低減、車両周辺部品の摩耗が減少するなど、大きな利点を生み出しました。1967年頃より、新幹線や地下鉄、海上コンテナ、トレーラーなどの輸送機器にも、アルミニウムは幅広く採用されていきました。

エネルギーの分野でも、アルミニウムの活用が広がります。新たなエネルギーとして注目されたLNG(液化天然ガス)では、気体のガスを液化するにはマイナス162度まで冷却し、これを貯蔵するための強靭なタンクが必要でした。スカイアルミニウムはこの課題に着目し、超低温の状態にも耐えられる、LNGタンク用アルミニウム板の開発に着手しました。そして1968年、日本初のアルミ製大型タンクを、大分県のコンビナートに納入しました。
以上のように、アルミニウムは日本の経済成長とともに、人々の暮らしと産業の発展になくてはならない存在となっていったのです。

LNGタンカー

アルミ Column ❷

日本で最初に国際登録(AA)された合金――。それは、1967年に住友軽金属工業が開発した「7003合金」です。同社は1962年に、強度や耐食性・耐熱性に優れたジルコニウムを添加した画期的な金属「7N01合金」(現7204合金)を開発しており、鉄道車両の台座や航空機用材料に活用されました。この技術を発展させ、より押出性に優れた素材として開発したのが「7003合金」です。そしてこの頃から、全国の国鉄(現:JR)や地下鉄でアルミニウムの採用が広がり、特に7003合金は、新幹線をはじめ海上コンテナ、トレーラーなどにも幅広く使用されました。

*The Aluminum Association。アルミニウムの生産、加工、リサイクル業界、およびそれらのサプライヤーの業界団体。

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